2007/08シーズン、男子ワールドカップに新しい会場が加わった。
クロアチアのザグレブ―スリエーメ。
イヴィッツァ・コスタリッチの生まれた町、育ったスキー場である。
標高が低いため天然雪はほとんど降らず、
リフトが
3本架かるだけの小さなスキー場スリエーメで
なぜワールドカップ・レースが行なわれたのか?
そして、クロアチアで初めて開催される男子ワールドカップは、
いったいどんなレースだったのか?
多くの人がシーズン最高の大会だったと賞賛するこのレースを検証する。
『月刊スキージャーナル2008年9月号』に掲載した記事を再構成しました

 07/08シーズンのワールドカップ・スラロームのなかで、もっとも印象的だったレースは? という質問に対して、佐々木明はほとんど迷うことなく即答した。
「ザグレブがベストだと思う。コース、雰囲気、運営などすべてが完璧で、選手としてとても楽しく戦えたレースだった」
 このシーズンの佐々木は10位以内に3度入賞しているが、なかでももっとも良かったのがザグレブで記録した7位という成績である。彼がこのコースに好印象を受けたのは当然だろうが、そうした個人的な事情を抜きにしても、ザグレブのスラロームはクオリティの高いレースだったと佐々木は言う。
「昨シーズンだけでなく、僕が出たすべてのレースの中でもっともエキサイティングで、もっともフェアな大会だった」
 あるいは大げさに感じられるかもしれないが、この意見には取材者として私も深く同意したい。 2008年2月17日、ザグレブ・スリエーメで行なわれたワールドカップ男子スラローム第5戦は、文句なしに07/08シーズンでもっとも素晴らしいレースであった。

 ザグレブは、クロアチアの首都である。ミラノから東に530km、ウィーンからは南に300kmに位置し、人口は約80万人。中心部には近代的なビル群も立ち並ぶが、その北側に広がる旧市街には、中世の街並がほぼそのまま残る。古都らしい美しく落ち着いた雰囲気と、新しく生まれた国家にふさわしい若い活力を感じさせる魅力的な都市である。

 だが、クロアチアが旧ユーゴスラヴィア(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国)から独立するにあたっては、激しい民族紛争が勃発し、この地でも多くの血が流れたという凄惨な歴史のあることを忘れてはならないだろう。独立を宣言したのは1991年6月19日だが、ユーゴスラヴィアとの紛争は、その後1995年まで続いた。この間は国全体が大きな混乱に陥り、もちろんスポーツ界も例外ではなかった。同時期に同じように旧ユーゴスラヴィアから独立した隣国スロヴェニアが、アルペンスキーの世界で順調に力を伸ばしていったのに対して、クロアチアのスキーは長い停滞を強いられたのである。


ついに実現した地元でのレース。イヴィッツァ・コスタリッチの表情には、子どもの頃からの夢が実現した喜びがあふれていた

 もともと、アルペンスキーにおいてクロアチアは恵まれた環境を持つ国ではない。フランスからオーストリア、スロヴェニアまで、東西およそ1200kmにわたって延びるヨーロッパアルプスの山並みもクロアチアの手前で途切れているため、この国には豊富な積雪が望める高山が存在しないからだ。したがって、国内ではFISレースがいくつか開催されるのみ。クロアチアのアルペンレーサーがトップレベルの国際大会に出るためには、アルプス諸国まではるばる遠征していかなければならなかった。市の中心からほぼ真北に30kmほどのところには、1kmほどの短いコースにリフトが3本かかるスリエーメがあるが、これがザグレブ近郊では唯一のスキー場である。少年時代のイヴィッツァ・コスタリッチは、冬の間ほぼ毎日スリエーメに通い練習に明け暮れた。彼は2歳年下の妹ヤニッツァとともに、将来は世界のトップに立ちたいと願っていた。当時、自分の国の未来に明るい希望を抱くのはむずかしいことだったが、スキーの世界で頂点をめざすという目標だけは、けっして失うことなく持ち続けた。そしてテレビで放送されるワールドカップ・レースを見るたびに、「いつかスリエーメでワールドカップ・レースが開催されるといいな」と思ったという。しかし彼がそれを口にすると、誰もが「そんな夢みたいなことが本当に起こるわけがない」といって笑い合ったものだった。

スリエーメは、クロアチアの首都ザグレブからほど近い市民スキー場的な場所だ

 それから10数年がたち、やがてクロアチアにも平和な日々が訪れた。コスタリッチ兄妹は、世界への階段を駆け上り、まずヤニッツァが頂点に立った。 00/01シーズンには初めてワールドカップ総合チャンピオンに輝き、翌年行なわれたソルトレイク五輪で3個の金メダルを獲得。たび重なる怪我のために妹に遅れをとっていたイヴィッツァも、01/02シーズンのスラローム種目別タイトルを獲得。さらにサンモリッツ世界選手権では兄妹揃ってスラロームの金メダルを手にする快挙も達成した。こうしたふたりの躍進を背景に、クロアチアのスキーは著しい成長を遂げた。06シーズンには女子のワールドカップ・スラロームがこのスリエーメのコースで開催され、大成功をおさめた。そして08シーズン、とうとう男子のワールドカップが開催されることになったのだ。
「ようやく、本当にようやく夢が実現した」
このレースで2位に入賞したイヴィッツァ・コスタリッチは、記者会見の冒頭、感慨深げにこう語った。
「多くのワールドカップ・レーサーは、それぞれ自分のホームレースを持っている。 自分が育ったスキー場で行なわれるワールドカップに出場すること。レーサーにとってこれほどの幸せはないだろう。長い間、僕はその喜びを味わうことができなかった。しかし、こうして今日、地元のファンの声援のなか、スリエーメでワールドカップを戦うことができて本当に嬉しかった」
 
 この日の彼は優勝者ではなかったが、その喜びにはこれまで経験してきた数多くの勝利のいずれとも比べることのできない特別な感慨があったという。その意味で、クロアチアで行なわれる初めての男子ワールドカップは、イヴィッツァ・コスタリッチのために行なわれたレースだと言ってよいだろう。


 

華麗な演技でレースに彩りを添えるはずのデモンストレーターたちだったが、硬いアイスバーンに歯が立たなかった

 クロアチアのスキー連盟は、総力をあげてこの大会の運営に当たった。大会関係者の宿泊には、市内最高級の5つ星ホテルが用意され、万全の体制とホスピタリティで各国からのゲストを迎えた。驚かされたのは、レース当日の会場輸送である。朝7時から15分間、ホテルからスリエーメに向かう道路は、すべての交差点に警官が配置され、一般車の進入を完全にストップ。 そのうえですべての信号が青に固定されたのだ。したがって、関係者の車両はただの1度も止まることなくスリエーメ山頂の駐車場に直行。通常ならば1時間以上はゆうにかかる道のりを、わずか20分ほどで到着してしまった。この大会を成功させるために、クロアチアがいかに大きなエネルギーをつぎ込んだかを実感させるできごとであった。
 
 だからといって、このワールドカップは、けっして“クロアチアのクロアチアによるイヴィッツァ・コスタリッチのためのレース”ではなかった。それどころか佐々木明が言うように、レース展開が最後までフェアだったという点で、近年まれに見る面白いレースとなった。その要因のひとつは、コースのコンディションが完璧だったことにある。とにかく、この日のコースは素晴らしいできばえだった。ほぼ100%人工雪で作られたコースは、数日前から続いた厳しい冷え込みのために深いところまで氷結し、レースが進んでもまったく荒れることがなかった。その硬さを言葉で表現するのはむずかしいが、あえて言うならば完璧なレース仕様。2本目開始前、ゴール前の急斜面を使ってクロアチアスキー連盟のデモンストレーターたちによる集団滑走が行なわれたのだが、雪面のあまりの硬さにさすがの名手たちもスキーのコントロールがままならなかった。スタートしてすぐにフォーメーションが乱れ、最後までバラバラの無惨な滑りになってしまい、およそデモンストレーションの態をなさなかったほどである。

素晴らしいレースだったと振り返る佐々木明。彼自身は24番スタートから1本目5位。合計では7位に入賞した

 コースは、中間に長い緩斜面をはさみ、上部と下部に比較的急な斜面という構成。斜度的には全体にそれほど厳しくはなく、デモンストレーターたちを手こずらせたゴール前の斜面も、通常の雪質ならば何ということのない部分である。ところが、恐ろしいまでに氷結したアイスバーンは、このコースをきわめてむずかしく厄介なものへと変貌させた。
そのため、1本目は上位ランクの実力者たちが失敗したり、タイムが意外に伸びなかったりする一方で、遅いスタート順の選手が次々と好タイムをマークするという痛快な展開となった。いつもならば荒れたコースに悩まされ、ラインが乱れることの多いスタート順でも、思い切って攻めることができたからだ。2本目に進むことのできる上位30位までに、40番台から3人、50番台から2人が食い込み、逆に第1シードの選手のなかでトップ15にとどまることができたのは、わずか7人だけだった。

 日本チームでは、24番スタートの佐々木明と39番スタートの湯浅直樹のふたりが、このチャンスを生かした。佐々木はトップに0秒38差の5位、湯浅も0秒58遅れの9位。ともに会心の滑りで、2本目次第では充分に表彰台に届く好位置につけた。1本目のベストタイムをマークしたのは、ゼッケン1番で滑ったマリオ・マット(オーストリア)。2万5千人の地元のファンの大声援を受けて滑ったイヴィッツァ・コスタリッチが2位、ふたりの差はわずか100分の3秒だった。

 コースの印象について、選手たちは「非常にタフなコースだ」と口を揃えた。標高差は210mとルール上の上限(220m)に達していないものの、距離的に長く、しかも最後の氷結急斜面に振り幅の大きいむずかしいポールがセットされたからだ。1本目で6位につけたラインフリート・ヘルブスト(オーストリア)は、
「技術的にもむずかしかったが、それ以上に長くて硬くて体力的に厳しいコースだった。最後は本当に疲れきってしまい、ゴールに入った後は、まるで自分が60歳の老人になったような気分だった」と苦笑い。また、コスタリッッチはすでに何万回も滑りこんだコースの特徴をこう表現している。
「ここはワールドカップの平均的なSLコースよりもかなり長く、とくに後半がむずかしい。普通のスケールのコースならば、最後の急斜面の入り口付近がゴールになるだろう。だからここが非常にきついパートになる。技術だけでなく、フィジカルなコンディションも重要。長い緩斜面の後に続くだけに、体力を使い切った後のもうひと頑張りが必要なんだ」

ワールドカップ通算30勝を誇るイヴィッツァ・コスタリッチ。ザグレブでは2位に3回、3位に1回入賞したが、ついに優勝は叶わなかった

 特徴的だったのは、1本目のタイム差が非常に詰まっていたことである。1位のマリオ・マットが55秒28で滑ったのに対し、30位のマンフレッド・メルク(イタリア)のタイムが56秒66。今季絶好調のメルク(彼は最終的にはこのシーズンのスラローム種目別チャンピオンに輝いた)が30位ということ自体も驚きだが、わずか1秒38遅れただけでここまで順位が落ちてしまうということに、このレースの厳しさが表れていたといえるだろう。

 
2本目、レースはさらにヒートアップした。太陽が高く上ってもコースはまったく緩まず、選手たちの激しいアタックにも荒れることがなかった。したがって勝負に運が入り込む隙はなく、すべてはいかにミスなく、いかに攻撃的に滑るかという1点にかかっていた。その意味で光ったのは、やはり表彰台に上った3人、マリオ・マット、イヴィッツァ・コスタリッチ、ラインフリート・ヘルブストの滑りである。
ヘルブストは1本目のやや不本意な滑りの鬱憤をはらすかのようなアタックを見せ、セカンド・ベストのタイムをマーク。マルク・ベルトー(スイス)、ジョルジオ・ロッカ(イタリア)、そして佐々木明の3人をかわして3位に滑り込んだ。



 コスタリッチは、逆転勝利をめざしてスタート直後から勝負に出た。重圧からか最初の区間でややもたついたものの、中間の長い緩斜面をすばらしい滑りでカバー。自ら勝負所といっていた最後の急斜面でわずかなミスを犯したが、ゴールした時点ではヘルブストを抜きトップに立つ。タイムを確認した彼は、雪の上に大の字に倒れ込み、天を仰いで喜びを爆発させた。もちろん観衆の喜びようもすさまじかった。地鳴りのような歓声がコースを駆け上がり、会場全体が興奮に包まれた。

 

そんな騒然とした雰囲気の中、マットがスタート。しかし彼の滑りは驚くほど落ち着いていた。背中に痛みを抱え、日によっては意外なほどの脆さも見せる今季のマットだが、この日はそんな不安は微塵も感じさせなかった。滑りは最後まで乱れることなく、余裕をもってフィニッシュ。結局2本目もベストタイムという完璧なレースで勝利をつかみ取った。コスタリッチの優勝がなくなり、会場は一瞬凍りついたかのように静まったが、やがて勝者を称える温かい拍手がわき起こった。
「イヴィッツァがトップにいたことは、もちろん知っていた。2本目のスタートでは集中を保つのがむずかしかった。だが、自分の滑りのことだけを考えてアタックした。30番目のスタートでもコースは全く荒れていなかった。それを含めて素晴らしい雰囲気のレースだったと思う」

 

コースサイドからレースを見つめるアンテ・コスタリッチ。彼の胸にも親子で練習に明け暮れたスリエーメでの日々が蘇ったに違いない

 表彰式の後、優勝の喜びをそう表現したマットは、女王のコスチュームを身にまとい、少し照れていた。この大会につけられたサブタイトルが「VIP SNOW QUEEN TROPHY」だったからだ。VIPは大会のスポンサー企業の名称。スノークイーンとは、いうまでもなくワールドカップ総合優勝3回を誇るヤニッツァ・コスタリッチのことで、この大会が年明け早々に開催されるようになったのも、彼女の誕生日が1月5日であることに由来する。一昨年現役を引退した彼女は、この日ゴールエリアで兄の滑りに声援を送っていた。現役時代に比べると、かなりほっそりした印象。2本目、イヴィッツァがゴールしたときにはぴょんぴょんと何度も飛び跳ねて喜ぶ彼女の姿が大スクリーンに映し出され、会場の興奮はさらに増幅された。一方、コースサイドには、ふたりの父であり、クロアチアチームのコーチでもあるアンテ・コスタリッチの姿があった。アンテは少し前屈みのいつもの姿勢で、息子の滑りに厳しくも優しい視線を送っていた。この日ふたりがかわした言葉はそれほど多くはなかったが、互いの脳裏には、このコースでひたすら練習に明け暮れていた数10年前の日々がフラッシュバックしたことだろう。

ザグレブで初の男子ワールドカップレースを制したマリオ・マット。コスタリッチとの差は0秒33だった

 マットはまた、コスタリッチから勝利を奪い取った自分をも温かく祝福してくれた観客に、感謝の気持ちを表した。クロアチアのファンは、ときに過熱しすぎて偏狭なナショナリズムに陥りやすいことでも知られていた。過去には、応援に熱くなるあまり大量の発煙筒をたいたためレースが中断、コスタリッチが主催者に対して彼らの行為を詫びる事態も起こっていたのだ。だが、この日スリエーメにやってきたファンは、そうしたイメージとはまったく違っていた。長く待ち望んだ末に、ようやく実現したクロアチアでのワールドカップ開催。優勝は逃したものの、見事な滑りを見せたコスタリッチの活躍。このレースにはどんな背景があり、どんな価値を持つのかを、会場にいたすべての人が理解していたように思う。ザグレブ・スリエーメで行なわれたこのレースが、シーズン最高の素晴らしい大会として記憶されたもっとも大きな理由は、おそらくそこにあったのではないだろうか。

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