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 シュラドミングのスラロームでは、過去2回日本人選手が表彰台に立ったことがある。1度目は1990年、この大会がまだ昼間のレースだった頃、岡部哲也が3位タイとなった。優勝はこのシーズンのスラローム種目別チャンピオン、アルミン・ビットナー(ドイツ)で、岡部とのタイム差は0秒39だった。岡部は同タイムのコンラッド・ラートシュテッター(イタリア)とともに3位表彰台に上った。ふたりが同時に立つには少し狭い表彰台の上で、観客に応え窮屈そうに手を上げる岡部の笑顔を見たのは、テレビ画面を通してのこと。残念なことに、その場に私はいなかったからだ。
 急斜面主体で、パワーよりもスラロームのターン技術そのものが勝負の鍵となるこのコースは、日本選手の特性に合うのだろうか、岡部以降も多くの好成績が記録されている。自分の目で表彰台の岡部を見ることができなかった後悔と、シュラドミングに行けば、また日本選手の活躍に立ち会えるのではないかという望み。そんなふたつの感情に押されるように、それ以降は毎シーズン欠かさずシュラドミングに通ってきた。

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シュラドミング The Night Raceでの日本選手の主な成績

 2006年1月24日の夜にシュラドミングで起こった出来事を、私は生涯忘れることがないだろう。ワールドカップ男子スラロームで佐々木明が2位表彰台に上り、皆川賢太郎が6位入賞。シーズンがもっとも佳境に入るこの時期、しかもトリノオリンピック前の最後のスラロームでの日本人W入賞は、あれから14年がたった今振り返っても、快挙という以外の言葉が見つからない。
 気温マイナス15度。記憶にある限り、もっとも厳しく冷え込んだこの年のシュラドミング。日本のふたりのエースは1本目から快調に飛ばした。18番スタートの佐々木は、トップのカレ・パランダー(フィンランド)から0秒56差の5位。ひとりおいて20番目にスタートした皆川は、それをさらに上回る4位につけた。パランダーとのタイム差は0秒45。2本目の展開次第では、佐々木にも皆川にも充分優勝のチャンスがある状況だった。そしてもうひとり、当時まだ東海大学の学生だった湯浅直樹も、52番という遅いスタート順にも関わらず、中間計時を1秒13差の23位で通過する健闘を見せた。ゴール直前のヘアピンゲートで惜しくも転倒に終わったものの、この頃の日本チームの力をまざまざと見せつけるレースだった。

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1本目5位(+0.53)につけた佐々木明

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皆川賢太郎はわずか0秒45差の4位で2本目に進んだ

 2本目佐々木は26番目に滑った。この時点でトップにいたのは、地元オーストリアのスター、ベンジャミン・ライヒである。1本目は10位にとどまっていたライヒだが、2本目はさすがにうまくまとめてベストタイムで暫定トップ。はたしてどこまで順位を上げることができるか? 5万人近いファンの最大の興味はそこにあった。しかし、彼がリーダーボードの前に立っていられたのは、せいぜい10分足らずだった。佐々木がライヒの合計タイムを100分の2秒上回ってゴールに飛び込んできたからだ。雪煙を激しく舞い上げながら、佐々木が歓喜の雄叫びをあげると、会場は一瞬静まり返り、そして騒然となった。オーストリア人のコーチを持ち、もう何年もインスブルックに住んでいる日本人が、地元の英雄ベンジャミン・ライヒを破ってしまったのである。
 直後、会場全体が異様な雰囲気に包まれる中、皆川がスタートを切った。前半はまずまずの滑りだった。しかし後半で少しもたついた。ゴールした時点ですでに5位に落ち、最終的には6位となった。それでも、ウェンゲンでの4位に続く、シーズン2度目の6位以内入賞だった。
 一方、佐々木には勝利がすぐそこまで近づいていた。ライバルが相次いでアウトし、残るは1本目トップのカレ・パランダーのみだ。ワールドカップ優勝。子どもの頃から変わらず追い求めていた佐々木の夢が叶い、日本のアルペン界の歴史が変わる瞬間がまもなくやってくる。そう予感した1分後、パランダーが佐々木に0秒79の差をつけてゴールに飛び込んできた。佐々木の夢、日本の願いは、未来へとおあずけとなった。

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表彰式にふたりの日本人。幸せな夜だった

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優勝したカレ・パランダーと佐々木明のシャンパンファイト

 やがて表彰式が始まった。トップ3人が表彰台に上がり、4位から10位までの選手もステージ上に並んだ。そこにふたりの日本人選手がいることが、私には誇らしかった。この仕事をしていて良かったと、つくづく嬉しく思った。だが、ひとつだけ腑に落ちないことがあった。ライヒの立つ位置が違うのだ。佐々木よりも先に表彰台に呼ばれた3位のライヒは、向かって左側の段に立った。しかし、それは本来2位の選手が上がる場所だ。ライヒがそこにいる以上、佐々木は向かって右側、つまり3位の選手が立つべき場所に上がらざるを得なかった。
 3人の入賞者が表彰台のどこに立つかは、プロトコル(国際儀礼)によって決まっており、それはすべてのスポーツで共通だ。最初に3位の選手が向かって右側に立ち、次に2位の選手が左側に立つ。そして最後に優勝者が一番高い中央の段に上がる。ワールドカップ通算36勝、表彰台には92回も立ったことのあるライヒがそれを知らなかったはずはないし、そもそもセレモニーを仕切るFIS(国際スキー連盟)のスタッフがライヒを右側に導くべきだったのだ。当の佐々木は
「その時は気が付かなかった。というか、位置のことなんて全然気にしていなかった。表彰台の真ん中に立てないのなら、2位も3位もたいした違いはなかったから」と14年前の出来事を思い出しながら言った。彼ならば多分そう言うだろうな、と予想した通りの、いかにも佐々木明らしい答えが返ってきた。いずれにしても、それはそれ。今さら昔のことをほじくり返しても仕方がない。でも、この写真を見て佐々木は3位だったのだと勘違いしてほしくないと思うし、だからといってベンジャミン・ライヒのことを嫌いにならないでほしいと思う。

 2006年1月24日に行なわれたザ・ナイトレースで佐々木明は2位だった。その夢のような歴史的快挙に立ち会うことができた数少ない日本人として、ここでもう一度それを確認しておきたいと思う。おそらくあの夜のシュラドミングは、あまりの熱狂で何かが少しずつおかしかったのだろう。 

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表彰台に選手を送り込んだチームだけに許される記念写真。ところどころ白くぼやけているのは、シャンパン・ファイトの飛沫でレ ンズが曇ったからだ