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2002/2003シーズン、周囲の予想をはるかに上回るスピードで進化し、

大ブレイクを果たした佐々木明。

日本のエースの座についたばかりではなく、

今、もっとも注目すべきスラローマーとして、世界中から注目を集める存在となった。

いったい、何がこれほど急激に成長させたのか?

この冬の佐々木明の戦いを正確に検証していくと、彼の潜在能力には、

恐るべき可能性が秘められていることに、驚かされる。

『月刊スキージャーナル203年11月号』の記事を再構成したものです

 2003年1月19日。ウェンゲンでワールドカップ男子スラローム第5戦が行なわれたこの日、佐々木明は65番というゼッケンを着けていた。
 一般的に言えば、ワールドカップにおけるゼッケン65番というスタート順は、次のような絶望的な状況を意味している。

—— スタートの順番が回ってくるのは、競技開始から約1時間半後。いざスタートしてみれば、前に滑った選手たちのエッジングで、コースはすでにずたずたに荒れ果て、自分の狙ったラインを滑ることすらままならない。観客のほとんどは、昼食をとるために席を離れており、選手の滑りに注目するのは、チーム関係者のみ。上位の順位はほぼ確定しており、やっとの思いでゴールしたところで、自分のタイムがそれに影響することはことは、ほとんどない。——
 もちろん、最初から諦める選手など、誰ひとりいないだろう。しかし、滑る順番が勝負を大きく左右するというアルペン競技の特質上、スタートする段階で、すでにチャンスが最小限のものであることを認めざるを得ないことが多いのも、また事実なのである。

 

このシーズンのスラローム第2戦セストリエールでの佐々木明。深く掘れたコースに歯が立たず1本目でレースを終えた

 だがその一方で、ウェンゲンのスラロームは、コースのあまりの硬さのために、後方スタートの選手がいきなり上位に飛び込んでくるということが起こりやすいレースでもある。たとえば01/02シーズンには、63番スタートのエドアルド・ザルディーニ(イタリア)が3位になっているし、99/00シーズンには皆川賢太郎が60番台のスタートから1本目の中間計時で9位のタイムをマークしている。
 そうした過去の例も踏まえ、佐々木は、自分にチャンスが巡ってきていることを自覚していた。この日のウェンゲンのコースは、異常なまでに硬く、ほぼ全面がアイスバーンに覆われていた。ここまで硬ければ、スタート順の遅い彼が滑る頃でも、コースはそれほど荒れていないだろう。そこで、自分本来の滑りができれば、1本目30位以内に残って2本目を滑ることができるはず。彼は、そう信じて自分のスタート順がやってくるのを待った。 コースに何の問題もない以上、あとはひたすらアタックするのみである。爆発的なスタートダッシュ(彼のスタートは世界でも屈指の速さを誇る)で、すばやくトップスピードに乗ると、まったくひるむことなく急斜面に飛び込んでいった。エッジは正確にアイスバーンをとらえ、深回りターンの連続にもリズムはまったく乱れなかった。こまかい変化の続く後半部分では、さらに積極的にスキーを下に向けてタイムを稼いだ。そしてゴール前の緩斜面を駆け抜けてゴール。振り返ると、電光掲示板には7位という数字が点滅していた。同タイムでトップに並んでいたイヴィッツァ・コスタリッチ(クロアチア)とジョルジオ・ロッカ(イタリア)にわずか0秒57という僅差だった。佐々木は、彼にとって初めての2本目進出を、予想をはるかに上回る好成績で実現したのである。

 これまでにまったく実績のない新人が、1本目でいきなり0秒57差の7位となったとき、2本目に対して、はたしてどんな戦略で臨むべきなのだろうか? 慎重に滑って、たとえ順位を多少下げても完走し、ポイントを確保すべきなのか。それともとにかく冷静を保ち、無欲かつ平常心で滑ることに専念すべきなのか。もちろん、正解をひとつに絞ることはできないだろう。しかし、佐々木は考えられる中で、もっとも危険な道を選んだ。順位を守るどころか、一気に優勝を狙ったのである。 彼はけっして勢いだけで、こう思ったのではなかった。彼には次のような冷静な判断があった。2本目になれば、おそらくコースも少しは荒れる。気温が上昇するだろうし、30人しか滑らない2本目のコースは、通常1本目ほどは硬く作られていないからだ。だとすると、掘れたコースに慣れていない第1シード選手よりも、いつもガタガタのコースで戦ってきた自分の方が絶対に速いはず。そう考えると、0秒57というトップとの差は、彼には充分に逆転可能な数字に思われたのである。 佐々木は、2本目24番目のスタートだった。予想どおり、コースは、荒れていた。しかし、彼がこれまでに滑ってきたコースに比べれば、そこはまるで天国のようなものだった。中間計時ですでにトップに立ち、後半も、さらに強気のアタックをかけ続けた。ゴールした時点では、それまでトップにいたチェティル・アンドレ・オーモット(ノルウェー)を0秒87も離してぶっちぎりの1位。派手なガッツポーズで、観衆の大声援に応えた。

 彼の後には、6人の選手が控えていた。全員が第1シードレーサーであり、マンフレッド・プランガー(オーストリア)とジョルジオ・ロッカを除けば、みな過去に何らかのタイトルを獲得しているチャンピオンばかりである。ベンジャミン・ライヒ(オーストリア)は、00/01ワールドカップ種目別総合優勝、カレ・パランダー(フィンランド)は、99年の世界選手権チャンピオン、ジャン・ピエール・ヴィダル(フランス)はソルトレイク五輪金メダリスト、イヴィッツァ・コスタリッチは昨シーズンのワールドカップSLチャンピオン。しかし、そうした強豪たちの誰もが佐々木の合計タイムに及ばない。ひとりゴールするたびに、つまり、佐々木の順位がひとつ上がるたびに、観衆は歓声とも悲鳴ともつかない声をあげ、スタンド全体が震えた。 そして、最後にジョルジオ・ロッカがスタートする。1本目で佐々木に対して0秒57のアドバンテージを持っていたロッカだが、中間計時では、それをすべて吐き出し、逆に0秒08の差の2位に後退した。場内にそのことがアナウンスされると、ゴールエリアは騒然となった。ロッカのワールドカップ初優勝を期待する思い、そして無名の東洋人のいきなりの優勝を期待する思い。それらが交錯し、何とも不思議な興奮に包まれたのである。仮にこのまま佐々木がトップに立ち続ければ、昨シーズンの第1戦で、ゼッケン64番スタートのイヴィッツァ・コスタリッチが樹立した、ワールドカップSLにおける、もっとも遅いスタート順からの優勝という記録が塗り替えられることになる。一方のロッカは、これまで3回表彰台に登っているが、あとひとつの運が足りず、優勝したことはなかった。ロッカにとって、ワールドカップの優勝は届きそうで届かなかった悲願だったのである。
 ロッカは、中間計時を過ぎると猛然とスパートに転じた。あるいは、場内アナウンスで自分が負けているのを知ったのかもしれない。急斜面を終え、アップヒル気味の大きなうねりを超えて最後の緩斜面を直線的に滑り、身体ごと飛び込むようにゴール。その瞬間、ロッカの優勝が決まり、佐々木は2位に下がった。ふたりの差はわずか100分の4秒。稀に見る激戦だった。

 会場の観客たちにとって、ヒーローは優勝したロッカよりもむしろ佐々木の方だった。誰もが佐々木の快挙を祝福した。彼の突然の活躍によって、イヴィッツァ・コスタリッチのワールドカップSL3連勝はならなかったが、母国のスターを応援しようとクロアチアからやってきた応援団からさえ、「ササキ!ササキ!」と大声援が送られるほどだった。 その後、各国のテレビ局がインタビューに殺到し、彼は、そのたびにカメラに向かって自己紹介をするはめとなった。
「1本目で7位となった時点で、もう行くしかないなと思った。大事に滑ってポイントを狙うのではなく、いつも通りにあくまで強気で攻めていこうと思った」とインタビューに答え、2本目に対する戦略を語った。
 そう、彼は、いつだってアタックを続けてきた。ときには膝から下が完全に視界から消えるくらいに深い溝の中を滑らされたが、そんなときでも、彼はけっして攻撃するのをやめようとはしなかった。そして、この日ついにチャンスが巡ってきて、それを一発でものにしたわけである。

浮上のきっかけ

 02/03シーズンの佐々木明は、シーズンの開幕当初から絶好調だった。トレーニングのときに他チームと合同でタイムトライアルを行なうと、しばしば第1シードレーサーを上回るタイムを記録した。同じ条件ならば、彼のスラロームがすでに世界のトップクラスにあることは間違いなかった。
 しかし、レースとなると、やはりことはそう簡単にはいかなかった。彼のスタート順は60番台。前述したように、コースはすでに荒れ果てており、そこから上位に食い込むチャンスは、現実問題としてほとんどなかった。ワールドカップでは第3戦まですべて1本目で消えてしまい、せっかくの好調な滑りを結果に結びつけることができなかった。
 そんな佐々木にとって、大きな転機となったのが、1月初めにクラニスカ・ゴラで行なわれたヨーロッパカップのSL2連戦である。この2レースにおける彼の滑りは、とにかくひたむきでがむしゃらだった。もともとそれが彼の特徴だったのだが、このところの失敗続きで、無意識のうちに守りの姿勢が出ていたことも確かだった。そんな佐々木に対して、サービスマンの伊東裕樹は、
「これ以上、あれこれ考えても仕方がない。結果を気にせず、がむしゃらに滑ってみたらどうだ」とアドバイスした。佐々木は、その言葉の意味を考えた。これまでも自分ではがむしゃらに滑ってきたつもりで、これ以上どうすればいいのか? そう考えたとき、ひらめいたのがインスペクションのやり方を変えることだった。
「インスペクションで得た情報は大切かもしれない。でも、僕の場合、それが逆効果になっていることも多い。ここが危ない、あそこが振ってあるという情報を、滑っていて思い出す余裕がある。これは少しおかしくないだろうか? そんなことを考える暇があるなら、もっともっと前に行く気持ちを出したほうがいいのではないか」。佐々木はそう考え、インスペクションでは、ほとんど旗門構成を見ずに、サーッと流すことにした。そして、実際にそんな簡単なインスペクションだけで臨んだこの2レースで、早速結果を出した。1日目こそ23位に終わったが、2日目は2本目の会心の滑りで3位に入賞。ヨーロッパカップで初めて表彰台に立った。

 新しいやり方のインスペクションは、大成功だった。ポールの位置やコース状況が頭に入っていなくても、身体が自然に反応し、リラックスして滑ることができたのだ。先を予測してその状況を待ち受けるのではなく、目の前の状況に瞬時に対応する分、集中力はむしろ高まった。かくして、スタートからゴールまでほとんどポールを読まない、何とも不思議な“佐々木明流インスペクション”が完成することになった。
 だが、彼独特のインスペクションは、見た目の印象としてはいかにも軽い。他の選手が真剣にポールを読み、イメージを頭の中に焼き付けようと集中している横を、彼だけが笑いながらスーッと滑り降りていくのだ。見ようによっては真剣味が足りないと映り、事実世界選手権であっけなく棄権したときには、一部のメディアから、この“いい加減な”インスペクションが批判されたこともあった。しかし、
「生まれてから何百万ターンもポールをくぐってきた選手が、止まるようなスピードでポールを見る意味が果たして本当にあるのか?彼自身が、流して見ても問題がないというならば、それを否定すべきではない」と、佐々木のサポートとをマネージメントを担当するサロモン・スポーツ・アトリエの小田島賢代表は語る。また、日本チームのチーフコーチ、ゲオルク・ヘルリゲルも
「しょせん、スキーには右ターンと左ターンしかないのだから、あまり考えることはない」と、佐々木の奔放なやり方を認めている。 いずれにしても、このインスペクションが、彼にとってのターニングポイントとなったことは間違いないのだが、実は、佐々木にとってこの2レースは最後のチャンスだった。ここで結果が出なかった場合、佐々木はこの後ワールドカップには出場せず、ヨーロッパカップ中心のスケジュールに変更されることになっていたからである。もし、伊東のアドバイスがなかったら、あるいは、そのアドバイスに対して、もし佐々木がインスペクションのやり方をひらめかなかったら、昨シーズンの彼の大躍進は、おそらくなかっただろう。

常識はずれの過激な突っ込み

 佐々木明の滑りは、誰にも似ていない。何事にも“ワン&オンリー”が大好きな彼にふさわしく、その滑りもきわめて個性的。あえて探せば、過激な突っ込みでリスキーな滑りを見せるという点で、ボーディ・ミラー(アメリカ)と共通する部分があるが、両者の滑りのディテールは相当違う。上半身を可能な限り下に向け、下半身の返しが異常なまでに速い佐々木の滑りは、現時点では誰も真似のできない独特なものである。
 この滑りは、オフシーズンの徹底したGSトレーニングがベースとなっている。コーチのゲオルク・ヘルリゲルは、昨年のオフシーズン、佐々木に全体の約8割をGSに割くという集中トレーニングを課した。猫背になりがちだった彼の滑りを矯正し、スキー板にパワーを伝える効率的なポジションを作るためには、ある程度スピードの次元が高く、負荷がかかった状態の方がいいという判断からだった。佐々木が最終的にはスラロームでの好成績をめざすにしても、トレーニングの段階では、GSを集中して行なうことで、効果を高める。結果的にこの方針は、佐々木にGSに対する興味を呼び起こさせるという副次的な効果もあった。
 技術的な詳しい解説は、本誌20ページ以降に展開されるはずだが、“身体を極限まで倒し、短いエッジングでスキーのたわみを引き出す”という彼のスラロームは、オフシーズンの間にすでに基本ができあがっていた。そしてパークシティでのSL第1戦で、佐々木はその方向性が正しいことを実感する。60番という遅いスタート順だった彼は、深く掘れたコースをダイレクトに突っ込んだ。するとこれまでにない衝撃を感じたのだ。これまでは突っ込んだつもりでも、腰が下がったり重心が遅れたりしたために、どうしても遠回りしていたのだが、このときは腰高な姿勢を保ったまま、文字通りダイレクトなラインで旗門にアタックした。それでも、身体は反応し、激しい衝撃をこらえきれた。このとき、佐々木は、いつかきれいなコースを滑るチャンスがきたら、絶対に速いタイムを記録できるという確信を得たという。開幕から約2カ月、レースでは失敗ばかりが続いたが、この間、必要以上に焦りや不安を抱くことがなかったのも、自分のめざす滑りに、はっきりとした方向性が見えていたからに他ならない。