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トリノ五輪(2006)の男子スラロームで
アンドレ・ミューラーは皆川賢太郎と同タイムで4位だった
わずか100分の3秒差でメダルに届かなかった彼は
4年後バンクーバー五輪の同じ種目で3位となった。
そして2011/12シーズンは、ずうっと夢に描き続けてきた
スラロームの種目別優勝を達成しチャンピオンの座を手に入れた。
スタート呼ぶには控えめで地味な存在。

しかし、その実力は誰もが認めるアンドレ・ミューラーの実像を探る

 

 

(月刊スキージャーナル2012年8月号の掲載記事を再構成したものです)

2011/12シーズンの開幕前、アンドレ・ミューラーは自身のホームページ上で、アルペンレーサーとしての目標について、次のように記していた。
「私にとっての大きな目標のひとつは、ワールドカップのスラローム種目別優勝だ。そしてその夢は、ひょっとしたら今シーズン実現するかもしれない!?」
自信がありそうにもなさそうにも受け取れる、ちょっと微妙な表現でその文章を結んでいるが、彼が本気でスラローム・タイトルの獲得を狙っていたのは確かだろう。

 

そして、その予言は現実のものとなった。スラローム最終戦、2本目の逆転でシーズン2勝目を記録。と同時にスラロームの種目別ランキングでも、それまでの3位から一気に1位に躍り出るというという劇的なシナリオで2011/12シーズンのワールドカップ・スラロームチャンピオンとなったのである。スウェーデンの男子選手が種目別タイトルを獲得したのは、1992/93シーズンのトーマス・フォグデ以来、実に19年ぶりの快挙である。

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アンドレ・ミューラーは、日本ではそれほど知名度の高い選手ではない。ワールドカップのスラロームで通算4勝。バンクーバー五輪でも銅メダルに輝いているものの、その存在はスター選手と呼ぶには少し地味な印象だ。彼自身、積極的に前へ出てくるタイプではなく、キャラクター的には、脇を固めるバイプレーヤーというべきだろう。主役を張るスター選手のかたわらで、しっかりと自分の役割をこなす仕事人。派手な存在感こそないが、ときおり主役を食ってしまうような 輝きも見せ、気がつけば誰もが唸る実績を積み上げているというタイプである。
29歳にして初めてのビッグタイトルを獲得したチャンピオン、アンドレ・ミューラー。その実像に迫るためには、まず、彼のバックグラウンドについて、少し説明しなければならないだろう。

ステンマルクは尊敬する。しかし憧れたのはオーモット

 彼が生まれて初めてスキーをしたのは3歳の時だ。両親とともに出かけた冬の休日。細部の記憶はとうに消えてなくなったが、ただひたすら楽しかったということだけは鮮明に覚えているという。そしてそれがその後の彼の人生を決定づける大きなきっかけとなったのだ。9歳でアルペンレースを始め、やがて国内選手権で入賞できるレベルにまで成長。当時はスキーだけでなくアイスホッケーやサッカーにも夢中になっていたが、15歳の時に初めてスウェーデン選手権で優勝した。これを機に、彼は本格的にアルペンスキーに専念するようになった。

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バンスコでは2位表彰台。シーズンの後半尻上がりに調子をあげて 2強を追撃した

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高校はオーレ(2007年のアルペン世界選手権会場)近くの全寮制スキー高校に進み、レーサーとしての基礎を叩き込まれた。彼自身、ここでの4年間がもっとも充実したトレーニング期間であったとともに、人間的な成長もできたと振り返っている。そしてエステルスンドのスキー大学に進学するのだが、こちらはあまり性に合わなかったようだ。ほどなく中退し、よりプロフェッショナルなレース環境を求めてスイスに渡った。活躍の場はワールドカップへとステップアップし、現在は、モナコ在住。アルプスでの戦いの緊張を地中海を望む温暖な地でのプライベートライフで癒しながら、ワールドカップに挑む日々である。
 

モナコに居を構えたスウェーデン人アスリートといえば、テニス界のスーパースター、ビョルン・ボルグが先駆けだろう。そしてもちろんインゲマル・ステンマルクも。ステンマルクは、1970年代から80年代にかけて活躍した伝説の名スラローマー。ワールドカップ史上最多の通算86勝という圧倒的な記録を持 つ、スウェーデンの大先輩でもある。当然、彼も偉大な先輩の影響を受けてきたと想像できるが、しかしミューラー自身はもっともインスパイアされたレーサーとして、チェティル・アンドレ・オーモットの名前をあげる。
「両親からはすばらしい選手だったと聞かされてきたし、ステンマルクには大きな敬意をいだいている。だが、彼がもっとも活躍した時代は私が生まれる前のことで、あまりに遠い存在だ。私にとってのアイドルは、むしろオーモットやラッセ・チュースのように時代的にもっと近い選手たち。彼らの活躍には毎シーズ ン、とってもわくわくさせられた」。
オーモットもチュースも隣国ノルウェーの名選手である。国は違っても、ほぼ同じスキー環境にあるスカンジナヴィア勢として、強い連帯感を感じるのだという。 ちょっと意外な答だったが、スウェーデンといえば条件反射的にステンマルと結びつけようとするステレオタイプの周囲に対して、彼は率直な考えを述べたのだろう。
そんなときの彼の語り口は、いつも静かで冷静である。どんな質問に対しても、その意味するところを咀嚼したのち、言葉を選びつつ誠実に答える。自分を大きく見せようという作為は微塵も感じさせず、あるがままの姿を表現する。彼に対して感じるある種の清々しさは、こうした自然体のライフスタイルによるものだろう。

ラスト3レースで見せた驚異的な集中力

昨シーズンのスラロームの種目別タイトルへの挑み方は、まさにそんな彼らしい展開であった。
シーズンの前半から、主役は終始マルセル・ヒルシャー(オーストリア)とイヴィッツァ・コスタリッチ(クロアチア)のふたり。コスタリッチが1、3、6 戦で優勝すれば、ヒルシャーは2、4、6、8、9戦を立て続けにとる。わずかにクリスチャン・デヴィーレ(イタリア)が第7戦で優勝した以外は、この2強 に付け入る隙はほとんどなかったのだ。

その一方でミューラーは、開幕から着実に上位入賞を続けた。1本目で途中棄権した第5戦(アデルボーデン)と小さなミスで9位に沈んだ第8戦(シュラドミング)を除けば、ほとんどのレースで6位以内に入賞。派手なトップ争いを演じるコスタリッチとヒルシャーの蔭で、3位グループにしっかり付けるという展開だった。そしてシーズンが進むにつれ、彼の調子は少しずつ上がっていき、2強とのポイント差をじりじりと詰めて行った。


流れが変わる契機となったのは、2月半ば、イヴィッツァ・コスタリッチが右膝を負傷したことである。2月12日にソチ(ロシア)行なわれたスーパー・コ ンバインド第4戦で、古傷を抱える右膝を痛めたコスタリッチは、以降3週間にわたって戦列を離れることになった。この間、スラロームは第9戦(バンスコ)しかなかったのだが、第10戦(クラニスカ・ゴーラ)で復帰後も、彼の滑りは本来の鋭さとは程遠く、終盤3レースでコスタリッチがスラロームで加算したポイントは、わずか15点にとどまったのである。
 

またマルセル・ヒルシャーは、つねに好調を維持しているものの、ターンのインサイドポールをまたぐミスを繰り返していた。いわゆる片反と呼ばれるミスだ。11レースが行なわれたワールドカップのスラロームのうち、ヒルシャーは5レースで無得点に終わっているが、その理由は転倒やコースアウトではなく、すべて片反だった。 あまりに過激なアタックが裏目に出て、とれるはずのポイントを取り逃していたといってよいだろう。

 

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最終戦の2本目で逆転優勝、と同時にスラロームの種目別タイトルもつかみとったミューラー。いつも控えめな彼もさすがに感情を爆発させた

対照的に、ミューラーのスラロームは最後まで安定していた。尻上がりに調子をあげ、一時は200点以上離れていたポイント差は、次第に詰まって行った。 第9戦でヒルシャーに続く2位、そして第10戦では、シーズン初勝利(通算3勝目)を記録。この時点でランキングトップのコスタリッチに66点差、2位ヒルシャーに16点差に迫った。残る最終戦(シュラドミング)の結果次第では、逆転優勝の可能性も出てきたのだ。
「長いシーズン、いろいろなことがあったけれど、タイトルを狙える位置にたどり着くことができて嬉しい。最終戦では、イヴィッツァもマルセルもタイトルをめぐってナーバスになるだろうから、僕はその後ろで自分のペースで戦うつもりだ。その結果としてタイトルを獲得できたら、そんなに嬉しいことはないだろう」。

レース後、ミューラーはこう語り、タイトル獲得への意欲をにじませた。
 

そして迎えた最終戦。レースは思いもよらない展開となった。いや、ミューラーの予想したとおりになったというべきか、1本目でコスタリッチとヒルシャーが大きなミスを犯してしまったのだ。ともにポールをまたぐ失敗だった。コスタリッチは、慌てて登り返して何とかゴールしたものの大差で出遅れ、ヒルシャーはあっさりと途中棄権した。スラロームチャンピオンの座を争うふたりが相次いで脱落する騒然とした雰囲気のなか、ミューラーはあくまで冷静だった。7番というトップ7(第1シードのなかのさらに上位グループ)のなかではもっとも不利なスタート順だったが、確実に滑って1本目は2位を確保。いよいよタイトル獲得は現実味を帯びてきたわけである。
「この滑りですべてが決まるわけだから、2本目はひどく緊張した。ポイントのことは考えず、自分の滑りだけに集中した」
 雪が極端に軟らかく、コースは荒れていたが、ミューラーの滑りは乱れなかった。2本目のベストタイムを記録し逆転優勝。2位以上で種目別優勝が決まる状況のなか、文句なしの勝利で夢の実現を引き寄せた。

悲願のスラロームタイトルを獲得。前日引退レースを行なったばかりのディディエ・クーシュからメダルを受け取った

その夜、ミューラーは自らのバンド、André Myhrer & TBLとともに祝勝ライブを行なった。シュラドミングの人気クラブに関係者や親しい友人たちを招いて行なったコンサートは、夜遅くまで大いに盛り上がったという。
“ギターも弾けるアルペンレーサー”としては、イヴィッツァ・コスタリッチが有名だが、ギタリストとしての技量を比べれば、ミューラーの方がかなり上だろう。その演奏はたとえば↓

で見ることができる。控えめなプレースタイルながら、実は相当な実力派、という彼らしさをこちらでもうかがい知ることができるだろう。
 

長年、夢見てきた大きな目標を達成しスラロームスペシャリストとして頂点に登りつめた今、彼が目指す次の目標は、ジャイアント・スラロームでの活躍である。スラロームを最重点種目としながら、以前からGSにも力を入れてきた彼にとって、まずは第1シードに入ることを目指すという。昨シーズン、バンスコのGSでは6位と自己最高の順位を記録。2本目の後半はベストタイムをマークしており、この種目での潜在能力にも相当なものがありそうだ。
「スラロームでの滑りをより洗練させるためにも、GSに力を入れていきたい。今からオールラウンダーになることは無理だとしても、2種目を並行してやっていくことは必ずプラスになるはず」という。
 遅く花開いたスラローム・チャンピオンが、この先どこまで活躍の幅を広げられるのか。それはやがてやってくる2012/13シーズンの冬、注目すべき焦点のひとつとなるだろう。