

五輪切符をかけた熱い戦い。 年末は全日本スキー選手権大会に注目
例年、シーズンの締めくくりとして3月に行われている全日本スキー選手権大会が、今季は12月末に前倒し開催される。この大会が平昌五輪の代表選考会を兼ねることになったからだ。従来、アルペン競技ではワールドカップ及びヨーロッパカップでの成績を基準に、五輪代表選手が選ばれてきた。平昌五輪に関しても、もともとは「直近2シーズンの間にワールドカップ及び世界選手権で8位以内1回、もしくは20位以内2回」が選考基準だった。だがこの夏、全日本スキー連盟(SAJ)は、全日本スキー選手権の男女ジャイアント・スラロームとスラロームのそれぞれの勝者に平昌五輪の出場権を与えることを決定。これによってトリノ五輪(2006)を最後に途絶えていた女子選手の派遣も復活する。バンクーバー(2010)、ソチ(2014)とも男子2名のみの派遣だったが、平昌五輪では全日本スキー選手権勝者とワールドカップ基準をクリアした選手、つまり最大で4+α名が平昌行きの切符をつかむことになる。もっとも、SAJから発表された文書では「各種目の優勝者の派遣をJOC(日本オリンピック委員会)へ推薦する」という、


マティアス・ハルギン
FISのオフィシャルページで、レヴィのスラローム第1戦で3位に入賞したマティアス・ハルギン(スウェーデン)をとりあげています。フェリックス・ノイロイター(ドイツ)とヘンリック・クリストッファーセン(ノルウェー)の優勝争い、そして1本目でトップに立ちながら2本目の急斜面で散ったデイヴ・ライディング(イギリス)、足首骨折かわわずか3ヶ月で強行出場したマルセル・ヒルシャー(オーストリア)らの印象が強かったレースですが、32歳のベテラン、ハルギンもなかなか味のあるレーサーです。 FIS Alpineから 彼にとっては、2年半ぶり通算7回目のワールドカップ表彰台(パラレルスラロームを除く)。映像のなかにもある通り、スウェーデンの首都ストックホルム生まれ。小さい頃から近くの小さな山で滑っていたため、必然的にスラロームが得意になったそうです。その後、スウェーデン最大のスキー場があるオーレのスキーアカデミーに進学。ここでの活躍が認められて、ナショナルチームにピックアップされました。
現在の彼は、典型的なスラローマー。2015シーズンにはキッツビュールのスラロ


ウルホヴァVS.シフリンの一騎討ち 女子スラローム第1戦の裏側
終日曇りという予報が出ていたレヴィ。朝方は風が強く、ゴンドラの運行ができるのか心配されましたが、ぎりぎりでセーフ。予定通り午前11時に競技が開始され、ときおり青空さえのぞく望外の好条件でした。前夜からの冷え込みで、いったんは緩みかけたコースは再び硬く凍結。最後まで荒れることのないフェアなレースとなりました。
女子スラローム第1戦を制したのは、ペトラ・ウルホヴァ。スロヴァキア生まれの22歳で、現在は、冬のほとんどをオーストリアのヒンタートックス(上部は万年雪をいただく氷河があり、年間を通じたレーサーたちトレーニング場所として人気のあるスキー場)に暮らしています。ミカエラ・シフリン(アメリカ)と同じ1995年生まれで、ここ数年で急激に頭角を現してきた選手です。 1本目はシフリンがベストタイム。ウルホヴァは0秒24差の2位につけた ふたりが初めて同じレースで戦ったのは、お互いまだ13歳だった2008年のウィスラーカップ(北米最大のチルドレンレースとして長い歴史を持つ大会)のスラローム。シフリンが優勝し、ウルホヴァは2位に入賞しました。しかしふたりの


ワールドカップ緒戦前日の清澤恵美子
レヴィ(フィンランド)、女子スラローム第1戦の前日。ここはもう北極圏だというのに、朝から霧雨のような小雪のような、いずれにしても湿っぽい天候でした。レースコースに上がるゴンドラは昼過ぎまで動かず、ゴールエリア付近の準備しか見ることができませんでした。
コンディションが悪いせいか、今日は身体を休めて体調を整えることを重視する選手がほとんどで、トレーニングコースにはあまり多くの選手はいませんでした。 そんななか、昼頃からコースに現れたのが清澤恵美子選手(成城スキークラブ)。彼女は、2014/15シーズンを最後にナショナルチームからは外れていて、プライベートで世界への挑戦を続けています。 姉と弟。遠目に見ると、顔もそっくり 目標は平昌五輪。元日本チームコーチの三増健一さんをプライベートコーチに迎え、弟で自身もレーサーだった清澤一輝さんがサポートするという、姉弟+1のこじんまりとした“チーム清澤”ですが、昨シーズンはヨーロッパカップで入賞を重ね、見事選考基準をクリア。チーム外ながら、サン・モリッツ世界選手権に出場するという快挙を果たしました。 またファ


愛すべきアウトサイダー ボーディ・ミラー引退
もう先週のことになりますが、ボーディ・ミラー(アメリカ)がアルペンレースから引退することを正式に発表しました。最後にワールドカップに出場したのは2014年の3月(レンツェルハイデのGS最終戦で2本目途中棄権)に遡ります。2015年は、ビーヴァー・クリーク世界選手権のスーパーGにだけ出場し、第2中間計時まで圧倒的なベストタイムで驀進。しかし中間すぎのジャンプで転倒して膝蓋腱を断裂するという衝撃的なアクシデント。これを最後に公式のレースの場に現れることはありませんでした。 したがって、実質的にはこの3シーズン、ワールドカップに彼の姿はなかったわけですから、引退というそのこと自体に驚きはありません。でも、振り返ればボーディ・ミラーは特別な選手でした。この世界のなかでも際立った個性を持ち、単なるアトップレーサー、スーパースターという表現にはおさまりきれない何かがありました。その“何か”の正体を探ろうと、この10年以上にわたって写真を撮り、原稿を書き連ねてきましたが、彼の魅力や独特の存在感を伝えきれたかというと、まったく自信はありません。 今、自分の書いた


ワールドカップのその後で
10月29日に行なわれるはずだった男子のGS第1戦は、残念ながら悪天候のため中止となりましたが、翌30日(月)は、完璧な晴天。ところが勢い込んで朝早くから山に上ったものの、いつまでたってもゴンドラが動きません。強風が雲をどこかに吹き飛ばしてくれたのはいいのですが、調子に乗ったのか、その風がいつまでもやまないのです。11時近くになってようやく運行開始。この日はフィッシャー、アトミックのそれぞれのデモチームのスキーテストを撮影させてもらいました。日が落ちるまでのわずかな時間で、ふたつのチームをそれぞれ違うシチュエーションで撮らねばならず、かなりタイトな進行となりましたが、スキーヤーの方に協力していただき、ギリギリで撮影完了。青空に恵まれ、また午後からは光も柔らかくなり、フィッシャー、アトミック両チームとも、きれいな写真を撮ることができました。 ゴンドラ山頂駅からの風景 合間には、アイスボックス(セルデンの代表的なトレーニングバーン。各国ナショナルチームのポールが林立する、氷河トレーニングの聖地のようなコース)で練習する日本チームとも遭遇しました。34


波紋を呼ぶテッド・リガティのツイート
吹き荒れる風雪のため、残念ながらキャンセルとなってしまった男子GS開幕戦。前日から嵐の襲来が予想され、その通り夜半から大荒れとなったセルデンのレッテンバッハ氷河ですから、選手や観客の安全を考えれば、中止の判断も仕方がなかったといえるでしょう。 中止が決まったのが午前6時45分。レース開始予定時刻は10時だったので、その3時間以上も前に早々と決定されました。したがって多くの関係者は氷河まで上がらず、山に向かう車のなかや宿舎でそれを知ることができました。無駄なエネルギーを使わずにすんだという意味では、素早くかつ正しい判断だったわけです。通常、天候の理由でレースがキャンセルされる時は、30分から1時間単位でスタート時刻を遅らせて回復を待ち、数度の延期を繰り返した後に決定が下されます。そのため荒れた天候の中、レース関係者はレース実行に向けて辛い仕事が続き、一方観客は長時間に渡って待ちぼうけ。そんな苦行のあげくにレースが中止になると、みんながっくりと来て、精神的にも肉体的にも消耗が激しいものです。したがってこの日のすばやい判断は、おおむね好意的に受け取られ