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愛すべきアウトサイダー ボーディ・ミラー引退

 もう先週のことになりますが、ボーディ・ミラー(アメリカ)がアルペンレースから引退することを正式に発表しました。最後にワールドカップに出場したのは2014年の3月(レンツェルハイデのGS最終戦で2本目途中棄権)に遡ります。2015年は、ビーヴァー・クリーク世界選手権のスーパーGにだけ出場し、第2中間計時まで圧倒的なベストタイムで驀進。しかし中間すぎのジャンプで転倒して膝蓋腱を断裂するという衝撃的なアクシデント。これを最後に公式のレースの場に現れることはありませんでした。

 したがって、実質的にはこの3シーズン、ワールドカップに彼の姿はなかったわけですから、引退というそのこと自体に驚きはありません。でも、振り返ればボーディ・ミラーは特別な選手でした。この世界のなかでも際立った個性を持ち、単なるアトップレーサー、スーパースターという表現にはおさまりきれない何かがありました。その“何か”の正体を探ろうと、この10年以上にわたって写真を撮り、原稿を書き連ねてきましたが、彼の魅力や独特の存在感を伝えきれたかというと、まったく自信はありません。


 今、自分の書いた記事をいくつか読み直して改めて驚くのですが、12年前、すでに彼はアルペンレースやワールドカップに懐疑的になっていました。10年前にははっきりと引退をほのめかし、8年前には、突然ふらっとワールドカップからいなくなったことすらありました。激しい闘志でレースに挑み、数々のタイトルを手にし、ファンから深く愛されながら、ボーディ・ミラーはいつもレースの世界に居心地の悪さを感じていたようです。手を離せば、すぐに何処かへ飛んでいってしまいそうな不安定さ、権威や既成の概念への反発。周囲をハラハラさせる危うい香りが、いつも彼の回りに漂っていたような気がします。そしてそれこそがボーディ・ミラーの魅力の一端を構成したのではないかと思います。 今シーズンも、彼のいないままワールドカップが開幕しました。心の準備はできたとはいえ、もうここには戻ってこないのだと思うと、寂しいものです。 報道によれば、ピョンチャン五輪にはアメリカNBC放送の解説者として行くそうです。無愛想に見えますが、いったん口を開くと、ボーディの話はなかなか止まりません。東部訛で早口な彼の言葉は、私にはほとんど聞き取れないのですが、いったいどんな内容の解説をするのでしょう。機会があれば、ぜひ見てみたいものです。


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