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ウルホヴァVS.シフリンの一騎討ち 女子スラローム第1戦の裏側

 終日曇りという予報が出ていたレヴィ。朝方は風が強く、ゴンドラの運行ができるのか心配されましたが、ぎりぎりでセーフ。予定通り午前11時に競技が開始され、ときおり青空さえのぞく望外の好条件でした。前夜からの冷え込みで、いったんは緩みかけたコースは再び硬く凍結。最後まで荒れることのないフェアなレースとなりました。  女子スラローム第1戦を制したのは、ペトラ・ウルホヴァ。スロヴァキア生まれの22歳で、現在は、冬のほとんどをオーストリアのヒンタートックス(上部は万年雪をいただく氷河があり、年間を通じたレーサーたちトレーニング場所として人気のあるスキー場)に暮らしています。ミカエラ・シフリン(アメリカ)と同じ1995年生まれで、ここ数年で急激に頭角を現してきた選手です。

1本目はシフリンがベストタイム。ウルホヴァは0秒24差の2位につけた

 ふたりが初めて同じレースで戦ったのは、お互いまだ13歳だった2008年のウィスラーカップ(北米最大のチルドレンレースとして長い歴史を持つ大会)のスラローム。シフリンが優勝し、ウルホヴァは2位に入賞しました。しかしふたりのタイム差は2秒35という大差。同年代では圧倒的な速さを持つ選手として、すでに全米に名を轟かせていたシフリンが、その評判通りの強さを見せつけたレースでした。ヨーロッパでは敵なしだったウルホヴァにとっては、ショックな結果だったようです。その初対戦のことを覚えているかを聞くと、ウルホヴァは 「もちろん。あの頃ミカエラはこのくらいの位置にいて(といって左手を高くかざし)、私はこれくらい(右手を腰の下あたりに)ところにいました(笑)」と答えてくれました。

 それから、9年がたち、数え切れないレースで競い合ってきましたが、そのほとんどでシフリンの勝利。ワールドカップにデビューしたのも、初勝利をあげたのも、シフリンが先でした。  2015年の12月、オーレのスラロームでウルホヴァが優勝し、ワールドカップ初勝利を記録しましたが、このときシフリンは怪我のために欠場していました。ですから、初めてウルホヴァがシフリンをやっつけたといえるのが、アスペンで行なわれた昨シーズンのスラローム最終戦です。0秒24差でのきわどい勝負でしたが、シフリンが住むヴェイルから2時間ほどのアスペンで勝ち取ったこの勝利は、ウルホヴァにとって、とっても嬉しいものだったといいます。

逆転優勝が決まり、感情を爆発させたウルホヴァ

 そして、今季のスラローム第1戦で、ふたたびウルホヴァの優勝。1本目で0秒21差の2位につけ、2本目のベストタイムで順位をひっくり返しました。約8ヶ月のときを隔てていますが、この種目2連勝ということになります。ゴールした瞬間の彼女は、天を仰ぎ、大きく吠え、気持ちの高ぶりを抑えきれない様子でした。そして、最後に滑るシフリンが0秒10彼女に及ばないタイムでゴールすると、再び全身で喜びを表現。大柄な彼女の身体がひときわ大きく見えた瞬間でした。  一方のシフリンは、セルデンのジャイアント・スラローム第1戦に続き、2レース連続で勝利から遠ざかり、最大の得意種目スラロームでも2戦連続の2位。逆転負けを知った瞬間には、うつろな目で電光計時を見つめ、落胆の表情を隠そうとしませんでした。しかし、レース後は 「技術的にすぐれているのはもちろんだけど、ペトラはとっても気持ちの強い選手。タフな勝負になるのは分かっていたので、全力で滑ったけれど、今日は彼女にはかないませんでした」と潔く負けを認め、ライバルを称え、次の戦いとなるキリントン(アメリカ。100歳近いシフリンの曾祖母が暮らしている)での逆襲を誓いました。


2本目のシフリンは中間の緩斜面で遅れ逆転を許した

2本目ゴールでのミカエラ・シフリン

 ところで、レヴィでのレースに優勝すると、副賞としてトナカイの子どもを贈られます。もちろん連れて帰ることはできませんが、専用の牧場で末永く大事に飼われることになります。表彰式ではどんな名前をつけるか決めるのですが、最初にマルセル・ヒルシャーがフェルディナンドと、彼の父親の名前をつけたがきっかけで、翌年の勝者ヘンリック・クリストッファーセンがそれにならって、プレゼントされたトナカイに父親ラースの名前をつけました。そして、今回ウルホヴァがつけた名前も、彼女の父親と同じ名前イゴール。その理由を聞かれたウルホヴァは 「私にとって、これが3回目のワールドカップ優勝ですが、オーレにもアスペンにも父は来ていなかった。でも今日はここに来てくれたので、これまでの感謝の気持ちを込めてイゴールとなづけました」と語りました。


親子で登場したトナカイ(左が親)。ウルホヴァは仔トナカイにイゴールと名前をつけた

 スロヴァキアの他の選手、たとえばアダムとアンドレアスのザンパ兄弟や、ヴェロニカ・ズズロヴァと同様、ウルホヴァも自分のためだけのプライベートチームを組織して戦っています。それについては、また改めて紹介したいと思いますが、そのプライベートチームの最大のスポンサーが父イゴールなのです。 いずれにしても、シーズン第1戦を勝ったことで、平昌五輪に向けて、彼女の存在が俄然クローズアップされることになるでしょう。大きな可能性を感じさせる大器であることは間違いなく、今後も注目していきたい選手です。


3位はウェンディ・ホルデナー(スイス)ただしタイム差は1秒35と大きく離された

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