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真冬の夜の 夢のようなレース


約5万人の大観衆でふくれあがったシュラドミングのスラローム。The Night Raceと呼ばれ、ワールドカップでもっとも熱狂的に盛り上がるスラロームレースだ。観客が盛り上がれば、レーサーも燃える。過去数々の名勝負が繰り広げられてきたナイトレースは、今年もとてもスリリングな展開だった。


それまで暫定1位のダニエル・ユール(スイス)に1秒以上の差をつけて2本目のゴールに入った瞬間、ヘンリック・クリストッファーセン(ノルウェー)は大きな声で吠えた。肩をいからせ、目尻を釣り上げ、口を大きく開けて何やら吠えていた。トップに立ったから? でもそれにしては様子がおかしい。それまでのベストタイムを1秒以上も上回ったのに、喜ぶというよりむしろ怒っているようだ。そして左手で雪をすくうと、それを選手やスタッフたちのいるチームエリアに向かって放り投げ、すごい剣幕で叫んだ。投げた先にはオーストリアスキー連盟会長のペーター・シュレックスナデルと、スポーツディレクター、ハンス・プムがいた。突然のことに、何が起こったのか事態をのみこめないシュレックスナデルは、肩をすぼめるばかりだったが、それでもクリストッファーセンの怒りは収まらない。テレビカメラに向かっても激しい口調でいいつのり、人差し指で今滑り降りてきたばかりのコースを指差した。 ここに至って、ゴールにいた人の多くは気がついたことだろう。クリストッファーセンが滑走中に、観客から雪玉を投げられたことを。彼はその非礼な仕打ちに腹を立て、ゴールに入った瞬間感情を爆発させたのだ。


テレビカメラに向かって激しく抗議するクリストッファーセン

オーストリアスキー連盟の会長(左端)にも直接抗議する。なかなかいい根性だ

ひとしきり暴れた後、憤懣やるかたないといった険しい表情でスクリーンを見つめていた彼が、次第に冷静さを取り戻したのは、マルセル・ヒルシャー(オーストリア)がゴールに飛び込んできたときだ。ヒルシャーのタイムは、クリストッファーセンのそれを0秒39上回るベストタイム。これでこのレースの表彰台の3席が確定した。優勝ヒルシャー、2位クリストッファーセン、3位ユール。1位と2位は入れ替わったが、3人の顔ぶれは2日前のキッツビュールとまったく同じだ。キッツビュールでクリストッファーセンに敗れたヒルシャーが、きっちりとお返しして今季のワールドカップ9勝目、通算54勝目となる優勝を飾ったのだった。 クリストッファーセンが冷静になれたのは、ヒルシャーの2本目の滑りがあまりに素晴らしかったからだ。彼は自身の滑りにも満足していた、だけどヒルシャーにあんな滑りをされたのでは、今日は自分の負け。そう悟ったクリストッファーセンはあっさりと怒りを収め、5歳年上のライバルを称えることにした。何を話したかがわからないが、祝福の抱擁のとき、ふたりはいつもより長い時間言葉を交わし合っていた。 レース後の記者会見で、改めてことの顛末を聞かれると、クリストッファーセンは冷静に、笑顔とジョークまで交えながらこう語った。 「急斜面のヘアピンの手前だったと思うけど、雪玉がひとつ、ふたつ、たぶんみっつ飛んできた。そのうちどれも僕には当たらなかった。誰が投げたかはもちろんわからない。だがコースに集中しているところにそういうことがあると、対応が難しい。今日のシュラドミングには5万人の観衆が来ていたと思うけど、そのなかの49,997人は本当に素晴らしい人たちだ。そしてたった3人だけが悪者だった。ん?、悪者というのは言いすぎかな、少し悪いヤツラだ。僕はオーストリアを愛しているし、この国は第二の故郷だと思っている。数年前までは向かいのラムサウに住んでいたから、ここはホームレースみたいなものなんだ」 「レース後オヤジに聞かれた。お前は観客に向かって、指を立てたのか?って。だから答えたんだ。大丈夫中指(相手を侮辱したり挑発したりする仕草)じゃなく、この指(人差し指を立てて左右に振り、悪いことをたしなめる仕草)だよってね」 「それにしてもマルセルの滑りは素晴らしかった。たとえ誰も僕に雪玉を投げなかったとしても、今日の彼には勝てなかっただろう。そのことを除けば、なんて素晴らしいレースだったんだと心から思う」 実際のところ、0秒39という差は微妙だった。雪玉が投げ込まれず、それによってクリストッファーセンの集中を妨げられなければ、もしかしたら生まれなかったタイム差かもしれない。だが、彼はそうは考えず、ただただヒルシャーを称えた。

2本ともベストタイム。ヒルシャーの滑りはこの日も異次元のレベルだった


持てる力のすべてを出し切って王者に挑んだクリストッファーセン。見応えのある勝負だった


君の2本目の滑りはほとんど完璧だったんじゃない? という質問には 「いや、僕にとって完璧というのはありえない。いつだって何か改善すべきことがある。 でも今日の僕とマルセルは、本当に限界まで互いをプッシュし合ったんだ。だからマルセルは持てる力をすべて出しきったはずだし、もちろん僕も今持っているすべての力を出し切った」と答えた。 少年ぽい表情にだまされがちだが、クリストッファーセンは気性の激しいことで知られている。こどもの頃のあだ名は“ワイルド・チャイルド”。ニュアンスとしては「わんぱく坊主」と「悪ガキ」を足して2で割らない感じだろうか。彼自身 「小学生時代の僕は、教室でじっとしているタイプの子どもではなかったね」と当時を振りかえる。先生たちは、さぞかし彼の扱いに苦労したことだろう。 だが、その気持の激しさがレースでは無類の集中力を生む。テレビに映し出されるスタート前の彼の表情を見れば、それは一目瞭然だ。スタートハウスに入る数分前、彼はいつも父親ラース・クリストッファーセンと電話で話す。ヘルメットと耳の隙間に携帯電話をはさみ、ふたりだけの会話をするのだ。想像だが、このとき父親からは、息子が過度に興奮しないような言葉がかけられているのではないだろうか。そうでもしないと、この暴れ馬はどこに跳んでいってしまうかわからない。 いつも冷静な表情で息子を見守るラースをみると、この想像はそれほど的外れではないはずだ。

インスペクション中のクリストッファーセン親子


スタート前に父親と会話をかわすクリストッファーセン(会場のスクリーンから)

一方、もちろんヒルシャーも燃えていた。このレースにかける思いは誰よりも強かった。5万人の観衆のほとんどが彼の優勝を望んでいたし、これは彼のホームレース。ワールドカップのなかで、もっとも勝たなければいけない戦いだった。 そして彼は押し寄せる巨大な重圧をはねのけ、2本のスラロームを滑りきった。最強のライバルが思わずうなるほどの素晴らしさで。これでワールドカップでの通算勝利数は54となり、ヘルマン・マイヤーが持つオーストリアの男子選手としての最多勝記録に並んだ。以前は「記録に関してあまり興味はない。そんなことが意味を持つのは、引退した後、ソファーに寝そべってトロフィーを眺める時だけだ」と語っていたが、偉大な先輩ヘルマン・マイヤーに並ぶということは、彼にとっても大きな意味があることなのだろう。レース後の彼はこう語った。 「信じられない気分だ。ヘルマンの記録に肩を並べたことはとても誇りに思う。10年前には冗談としか思えなかったような記録だ。達成できて嬉しいし、支えてくれた人たちに感謝したい。今日は、会場からこれまでにないほど大きな声援を受けた。それが大きな力となったことは間違いない」 レースの直後、ヘルマン・マイヤーはすぐさま祝福のコメントを発表した。 「おめでとう。君の成し遂げたことに敬意を評する。そして我々は、すぐに君の55回目の優勝を祝うことになるだろう。これはあくまで通過点だ」

スタート前は静かに燃えていたヒルシャーもゴールでは感情を爆発させた

父親フェルディナンドに祝福されるヒルシャー


キッツビュールのスラロームで初めてワールドカップトップ3に入ったダニエル・ユールは、その2日後に早くも2回目の表彰台。同じ1993年生まれのチーム・メイト、ルカ・エルニとともに、猛烈な勢いで成長を続けている。第1シードに張ったのはユールが先だったが、表彰台にはエルニが先に到達。今季のスラローム第3戦(マドンナ・ディ・カンピリオ)、ユールが自己最高の4位に入ったレースで、エルニはヒルシャーを100分の4秒差に追い詰め2位となっている。だが、2度目の表彰台はユールが先。ヒルシャーとクリストッファーセンが互いに刺激し合あってとんでもないレベルにまで登り詰めたのと同様、ユールとエルニもお互いを刺激しつつ、さらに上昇していくのだろう。 「最初がキッツビュール、そして今日シュラドミングと2回連続の表彰台なんて信じられない。スイス人にとってもオーストリアのレース、とくにシュラドミングのナイトレースは特別なんだ。観客も多く最高の雰囲気のなかでのレースだと思う。これ以上の幸せはない」と喜びを語った。そして隣に座るヒルシャーに対しては、最大限の賛辞。 「マルセルの滑りはちょっと手が届かないレベルだ。今日の2本目を見ていてそう思った。しかもこの6年以上、そのレベルを保っているというのだから脱帽するしかない。人間的にも素晴らしいし、アスリートにとって最高の手本だと思う」と語った。

2戦連続で表彰台に立ったダニエル・ユール

急上昇の選手としては、フランスの20歳、ノエル・クレモンにも注目が集まりつつある。この日は29番スタートから1本目17位につけ、2本目はヒルシャーに100分の5秒差のセカンドベスト・タイムをマークして6位にまで順位をあげた。昨年まではFISレースが戦いの中心だった選手で、今季はヨーロッパカップを戦いながら、ノーアムカップにも武者修行に出て力をつけてきた。レヴィでのワールドカップ初戦は不発だったものの、地元ヴァル・ディゼールで行なわれた第2戦で初入賞20位を記録している。191cm83kgと身体に恵まれた大型スラローマー。今後大いに注目したいレーサーのひとりだ。

注目の新鋭ノエル・クレモン(フランス)

オーストリアスキー連盟会長から祝福されると、今度は親指を立てて感謝の気持ちを伝えた

表彰式後のシャンパンファイトでは無邪気にはしゃぐふたりに戻った

そんなふたりをよそに、ダニエル・ユールはひたすら飲み続けていた

中間タイムによってアーチの照明の色が変わる。グリーンは中間計時地点をトップで通過していることを示す



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