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アルペンレーサーから指導者へ

河野恭介 世界に通用するアルペンコーチをめざして

2020年1月のキッツビュール。マルコ・シュヴァルツの入賞を祝ってチームで記念写真

スラロームの名手として活躍した河野恭介が、この春、選手生活に終止符を打った。
早くから注目された逸材は度膝の怪我もあり、志半ばでレースから去った。
27歳での引退は現在のアルペンレーサーとしては早い決断だったが、今後は指導者としての道を歩むという。第一歩としてオーストリアに2年間のコーチ留学。
次々とトップ選手を誕生させるアルペン最強国。その強さの秘密を探る旅に出た
『月刊スキーグラフィック』2018年7月号に掲載した記事を再構成しました
Q 選手生活お疲れ様でした。昨シーズン限りで現役を引退するということは予め決めていたのですか?
A ここしばらくは、毎年これが最後のシーズンと思ってやってきました。ワールドカップで30位という数字は、この先頑張れば可能だと思うのですが、膝の故障が深刻で、上位に定着とか、表彰台に立つということになると、なかなか現実的に考えられない。このへんで結論を出さなければならいと思い、決断しました。
Q では、シーズンの途中で決めたわけですね。
A はい。年末の全日本選手権で優勝できなかった時点で、自分の中では区切りをつけました。
Q あのレースには平昌五輪の代表の座がかかっていたわけですが、仮に優勝していたら、また違った判断になったのでしょうか。
A たとえばワールドカップに出て15位以内に入るようなことはあれば別でしょうが、ただオリンピックに出ただけだったとしたら、気持ちは変わらなかったと思います。
Q 膝の故障とは?
A 湯浅(直樹)さんと同じで、膝関節の軟骨がほぼない状態です。高校のときに前十字靭帯を切って、そのとき半月板も切除しているんです。そのため衝撃がダイレクトにくるので、なかなか練習量をとれない。それが一番の問題でしたね。
Q 再スタートを切るにあたって指導者の道を選んだのは、どういう理由なのでしょう。
A もともと世話を焼くのが好きというか(笑)、自分自身で向いていると思うんです。実は昨シーズン、こんなことがあったんです。オーストリアで行われたあるFISレースに、加藤聖五とふたりで出場したときのことですが。
A 加藤選手も野沢温泉SCの所属ですね。
Q ええ、彼とは子どもの頃から一緒に滑っていて、言ってみれば弟分みたいな存在です。でそのレースでは1本目聖五が3位で、僕が2位だったかな。したがって2本目は彼が先にスタートしたのですが、僕は聖五をいかに気分良くスタートさせてあげるかに夢中で、自分の滑りのことなんか忘れてしまっていた。そのとき、改めて自分にはコーチという仕事が向いているんだろうなと自覚しました。

 
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2017年12月ポッツァ・デ・ファッサのヨーロッパカップ。左から加藤聖五、河野恭介、石井智也

Q アルペンレーサーのセカンドキャリアとしては、たとえば技術選手権をめざすとか、スキークロスへの転向、あるいは関連企業への就職などなも考えられると思いますが、他の選択肢は考えましたか?
A ありがたいことに、技術選にもスキークロスにもお誘いの話をいただいたきました。とても嬉しかったのですが、そうしたいくつかの選択肢のなかで、自分が一番求められているのは何だろうと。生意気な言い方になってしまうかもしれませんが、僕に求められているのはコーチになることなんじゃないかと思いました。SAJ(全日本スキー連盟)からもやってみたらどうだ、とすすめられていましたし、地元の野沢温泉村にも応援するといってもらえたので、これは逃してはいけないチャンスだと思いました。
Q コーチの役割とか重要性というのは、現役時代に身をもって感じていたのでしょうね。
A やっぱり現場で体験してきましたからね。もちろん、選手としての経験だけでできる仕事ではありません。今回それを勉強するチャンスをいただけたので、しっかり自分のものにしてきたいと思います。

 
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ワールドカップ6レースに出場した。写真は2014年のシュラドミング

どうすれば壁を突破できるのか

Q オーストリアへコーチ留学するということですが、具体的にはどのような形になるのでしょうか。
A JOC(日本オリンピック委員会)のスポーツ指導者海外研修事業という制度を利用して、オーストリアに派遣されるということです。書類審査と面接がありましたが、何とか合格することができました。
Q こんなことを学んできたいというイメージはありますか。
A 具体的にはまだ決まっていませんが、オーストリアチームのいずれかのカテゴリーに配属されることになると思います。3年前に安食真治さんが同じ制度を利用して留学しているんですが、そのときはマルセル・ヒルシャーのチームのアシスタント・コーチを務めました。僕は、ヨーロッパカップチームへの配属を希望しています。
Q それには、何か理由があるのですか。
A 日本の場合、ジュニアの世代では世界でもトップクラスに位置しているのですが、年齢が上がるにしたがって、強豪国の選手についていけなくなる。18歳くらいまでは、日本にも良い選手がたくさんいるんです。でもそこから先、ヨーロッパカップに上がると、結果が出せない。ヨーロッパカップで上位に入る、あるいはワールドカップで30番以内というところで大きな壁にぶつかるわけですね。
Q 今まさに加藤選手たちがそこに差しかかっていますね。
A そうなんです。年齢でいうと20歳から22歳くらいの時期。その意味では聖五や若月隼太らにとっては、今後の数年間が勝負です。一方、僕たちはどうだったかと言うと、湯浅さん以降の世代は、みなその壁にぶちあたってくすぶってしまった。せっかくワールドカップに出るチャンスをもらっても、30位以内に入ってポイントを獲得するところまではいかない。たとえば皆川賢太郎さん、佐々木明さん、湯浅さんは、ここをすんなり通過して上のステージに上っていきましたが、おそらく彼らは個の力でそこを突破した選手だと思うんです。
Q チームではなく?
A もちろんチームの力もあったでしょうが、そもそも個人の力に優れていたんだと思います。彼らならば、おそらくどんなコーチがついたとしても、突破できたでしょう。ですから、今日本に必要とされているのは、壁の手前でくすぶってしまった僕のような選手を、壁の向こうに引っ張り上げられるコーチなんじゃないかと思うんです。
Q そのヒントをオーストリアチームから探るということですね。
A ヨーロッパカップからワールドカップへ上がっていく選手が数多くいて、しかもそれが継続している。なぜ、そんなことが可能なのか、特別な何かがそこにあるのか、それをちゃんと見てきたいですね。そうすれば、世界最先端のヒルシャーチームについていた安食さんの体験ともつながってくると思うんです。

 
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2020年1月のウェンゲン。コースサイドでビデオ撮影する河野恭介

Q  研修の期間は1年間ですか。
A この研修制度には短期(1年間)と長期(2年間)があって、僕の場合は2年間の研修です。
Q 語学は?
A もちろん、語学も重要ですね。仮に資格はとれたとしても、言葉が十分にわからなくては、理解度には不安がありますよね。ですから語学学校にも通って、ドイツ語を集中して勉強します。
Q 2年後、帰国してからのビジョンはありますか。
A SAJがどんなことを僕に期待しているかにもよりますが、何らかの形でナショナルチームに関わることになるでしょう。今季からナショナルチームがどんな内容のトレーニングを行い、何をめざすのかという指針をジャパンメソッドとしてまとめると聞いていますので、その作成にも関われたら嬉しいですね。また、ナショナルチームだけでなく地域への貢献も考えていきたい。結局そういうところからきちっと積み上げていく必要があると思うんです。地域や学校のコーチ、あるいはいわゆるプロコーチと呼ばれる人たちがが育ててきた選手を、安心してナショナルチームに送り出せるような流れをどうすれば作れるか、もう一度みんなで考える必要があるでしょう。
Q さっき話題に出た全日本スキー選手権もそうですが、アルペンチームではさまざまな改革が進められています。ナショナルチームを再構築して、日本代表としてのステイタスを確立するというのも、その大きな柱です。
A そうですね。そのためには、ナショナルチームに入って、あのコーチに付いてもらいたい、選手にそう思われるような指導者に、僕もなりたいと思います。
Q 最後に、自分がアスリートでなくなるという区切りはつきましたか。
A レースの映像を見たりしたときには寂しいようなもどかしいような気持ちになることはあります。その一方でいろいろな方々のサポートのおかげで、これだけやらせていただいいたのに、何でもっとできなかったのだろうという思いもあります。だとしたら、自分が競技を続けるよりも、日本のアルペン界のために役立てることがあるならば、そちらで頑張ろうと思います。



※このインタビューの2年半後、オーストリアチームで3シーズン目となる彼のインタビューがこちら
SkiMagazine.jpへのリンクです)

 
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