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圧倒的な強さで2012/13シーズンを駆け抜けたティナ・マゼ。

総合優勝に加えてスーパーGとGSでも種目別優勝を果たした。

ワールドカップで11勝をあげ、世界選手権では3つのメダルを獲得。

29歳にして初の王座につき、史上最多の2414点を積み上げた新女王。

その覚醒と快進撃の理由を探る

 (月刊スキージャーナル2013年5月号の掲載記事を再構成したものです 

この10年来、多くのトップレーサーたちが挑み、そのたびにあえなくはね返されてきた高く分厚い壁がある。1999/2000シーズンにヘルマン・マイヤー(オーストリア)が作った1シーズンの最多ワールドカップポイント2000点という記録である。

2000年に2000ポイント。20世紀最後の冬に打ち立てられたこの象徴的な大記録は、21世紀を戦うレーサーにとって究極の目標であった。しかし、誰が挑んでも、どうやった挑んでも、ヘルマン・マイヤーを超えることはできなかった。昨シーズンは、開幕からすさまじい勢いで勝ち続けたリンジー・ヴォン(アメリカ)によっていよいよ更新かと思われたのだが、最後の最後で彼女は失速。それまでの女子 の記録は破ったものの、結局1980点どまりだった。

1シーズンに12勝もあげながら、それでもなお2000点には届かない。人々は、改めてヘルマン・マイヤーの記録の偉大さを知ることとなった。

 

しかし今シーズン、ついに壁は崩された。ティナ・マゼ(スロヴェニア)が圧倒的な強さでシーズンを突っ走り、2414点を獲得。難攻不落と思われた2000点の牙城は一気に陥落したのである。2位のマリア・ヘッフル・リーシュ(ドイツ)とは実に1313点差。マゼは、ダブルスコア以上のすさまじい大差をつけて初のワールドカップ総合チャンピオンに輝いた。

 

シーズン12勝(ワールドカップ11勝+世界選手権1勝)をあげ、スーパーGとジャイアント・スラロームの種目別優勝も獲得。驚かされるのは今シーズン行なわれたレース(ワールドカップ37レース、世界選手権5レース)をひとつも休まずに出場したそのタフネスぶりである。毎レース欠かさずスタート台に立ち、つねに最高のパフォーマンスを発揮した。表彰台に上った回数は男女を通じて史上最多となる24回。逆に途中棄権したのはザグレブのスラローム2本目の1回のみ。それでもなおレースに対するモチベーションは衰えず、シーズンがあと1カ月続いたとしても私は平気、と豪語する。

「会う人会う人ごとに『疲れたでしょう? 』

『シーズンがやっと終わってうれしいでしょ?』」

と言われるけれど、そんなふうに聞かれることの方が私には疲れるわ」。

 

ワールドカップを代表する美女レーサー。オフシーズンにはファッションモデルの仕事をこなし、シンガーとしてもデビュー。単なるアルペンレーサーにとどまらず、すさまじいエネルギーを発散しながら疾走するティナ・マゼとはいったい何者なのだろうか?

シュラドミング世界選手権GSでの滑り。この大会でマゼは、金メダルひとつとふたつの銀メダルを獲得した

マゼがワールドカップにデビューしたのは、1999年1月。彼女がまだ15歳のときだった。19歳で早くも初勝利を記録し、この頃からファンの注目を集めるようになった。ただ、ときおりきらめく才能の一端を見せるのだが、その割に成績は安定せず、本当のトップに定着するまでにはいたらなかった。

「可愛いし実力はあるけれど、調子の波の激しいレーサー」というのが、20代半ばまでの彼女に対する一般的な評価だった。

プライベートチームでの戦い

そんなマゼが大きく飛躍したのは、彼女自身のプライベートチームを組織し、独自のスタイルでレースに取り組むようになってからである。彼女の名前Mazeをとって「Team to aMaze」(発音はチームtoアメイズ)と名付けられたこのプライベートチームの中心人物は、イタリア人のフィジカルトレーナー、アンドレア・マッシだ。2002年にスロヴェニア初の外国人コーチとして女子チームに加わり、マゼと知り合った。16歳違いのふたりの仲はやがて恋愛関係へと発展。マッシへの信頼感がレーサーとしてのマゼを成長させていった。そして2008年にプライベートチームを設立。マッシがヘッドコーチとしてすべてをマネージメントしながらワールドカップに挑むようになった。

「アンドレアは私を本当のアスリートにしてくれた。まだ充分には強くなかった若かった頃の私にすべてを教えてくれた。とくに身体を強くすること、走ること、筋肉を鍛えることの目的と意義を教えてくれた。そしてレースに向けてどのように準備をすればいいのか、心理的な側面からも強くサポートしてくれた」という。

 

私生活では恋人であるが、アスリートとしてマゼと接するときのマッシは極めて厳しいコーチだった。彼女がどんなに泣き言を言おうと、いっさいの妥協はなかった。

「私が主導権を取りたいと思ったこともあるけれど、アンドレアがそれを許してくれなかった。彼が私のボス。古いスタイルが好きで、男が上で女はそれに従うという考え方。でも、それはどちらでもいい。いずれにしてもスキーをしている間は、私は自分が女だとは感じていないから」

ふたりの関係について、多少の ノロケをまじえながらマゼはこう言って笑う。

 

チームtoアメイズとして臨んだ最初のシーズン、マゼは総合6位にランクされた。前年が28位だったから大躍進と言ってよいだろう。その後は4位、3位と着実に順位をあげ、昨シーズン(2011/12 シーズン)は1402ポ イントを獲得してリンジー・ヴォンに次ぐ総合2位となった。

しかし、昨シーズンの彼女には1度も優勝がなかった。つねに上位をキープするのだが、表彰台の真ん中に立つことは1度もできなかったのだ。総合2位という成績を誇りに思う一方で、なぜ優勝できないのか、彼女は自分を問い詰めた。そして、マッシとの徹底的な話し合いから導きだされた結論は徹底的な精神面の強化だった。メンタルを鍛え上げることが、土壇場の勝負で勝ちと負けを分ける最後の力となると考えたのだ。

「精神面はとても重要。心のなかにどんな感情があるか。私は優秀なレーサーだったと思うけれど、100パーセント自分の力を発揮できてはいなかった。だからいつも2位とか3位という成績が多かった。昨年は総合2位。悪くない成績だけれど、優勝したレースがひとつもなかったことは大きな問題だった。だから私は変わらなければならなかった。それも大きくジャンプしなければと思った」

マゼは“ジャンプ”という言葉を特に強調しながらこう説明した。

あらゆる面でマゼを支える“チームtoアメイズ”。

なかでもヘッドコーチであり恋人でもあるアンドレア・マッシ(中央トロフィーを掲げている)の存在は大きい

おそらくこの“ジャンプ”と関係があるのだろうが、マゼは昨年秋に歌手としての活動を始めた。

いわゆるメジャーデビューではないが、スロヴェニアでは有名なアーチストのプロデュースによる「My Way is My Decision」という曲だ。「生き方は自分で決める」というような意味だろう。マゼ自身が「これは私そのもの」という歌詞は、自分の生き方に対する彼女の強い信念が表現されている。

「以前の私は、少し臆病で自分の殻に閉じこもるところがあったかも知れない。でもこの歌を発表することによって、解放された。そして自分が何者であるかを表現することに、少し勇敢になれた気がする」

と語る。この曲のプロモーションビデオは動画共有サイトYouTubeにもアップされているが、その再生回数は累計で70万回を超えている。http://youtu.be/53D_Oghkntg

 

「なかにはアルペンレーサーがモデルや歌手として活動することを、あまり快く思わない人もいるでしょう。スキーをしている間、私はある意味で男でいなくてはならないけれど、一方で私にも女性としてのさまざまな感情がある。喜んだり、悲しんだり、怒ったり。それらを表現することは、私が私らしくいる、ということにつながる。そういう意味でモデルや歌手という仕事は私にとって重要なの」

とマゼは語っている。

 

今シーズンのワールドカップ・ファイナル(最終戦)が始まる時点で、マゼは総合優勝だけでなくスーパーG、 ジャイアント・スラロームの種目別優勝もすでに確定させていた。さらに、最終戦の結果次第では、ダウンヒルとスラロームの種目別タイトルを獲得する可能性があり、しかもその可能性はとても大きかった。過去のどんなトップレーサーも達成できなかった総合優勝+すべての種目別優勝。そんな常識破りの快記録の達成が目前に迫っているように思われた。

 

ダウンヒルではリンジー・ヴォンに次ぐランキング2位につけていたが、その差はわずか1ポイントしかなかった。ヴォンはシュラドミング世界選手権のスーパーGで負った怪我のために、すでに1カ月前からワールドカップを離れている。したがってマゼが最終戦で15位以内に入りさえすれば逆転は可能で、そしてそんなことは彼女にとってたやすいことのはずだった。

スラローム最終戦。2本目の失速で種目別タイトルを逃してしまった彼女の失望は大きかった

さらにはスラロームでは2位ミカエラ・シフリン(アメリカ)に7ポイント差をつけてトップに立っていた。もっともこちらのライバル、シフリンは病院のベッドいるヴォンと違って現在絶好調。このまま逃げきるのはそう簡単なことではなかったが、マゼが優位に立っていることは間違いのない事実であった。

 

ところが、現実は予想以上に厳しかった。ダウンヒル最終戦は悪天候のためにレースが中止となってしまい、わずか1点差を逆転することができなかった。いかに強いレーサであろうと、レースがなければポイントを加算することは不可能だ。マゼにとっては、簡単には受け入れがたい決定ではあったが、これもアルペンレースというスポーツの宿命。悔しさをぐっと飲みこみ、彼女はダウンヒルの種目別2位に甘んじた。

 

スラロームでは1本目でシフリンを大きくリードしながら2本目で失速し、まさかの大逆転。ほとんど手中に収めていたはずのタイトルがするりとこぼれていってしまったのだ。シフリンはまだ18歳。日本流にいえばひと回りも若いライバルにクリスタルグローブをさらわれたことで、レース後のマゼはひどく不機嫌だった。

「2本目は少し慎重に行き過ぎた。たぶんプレッシャーのせいだろう。今日の結果にはとても失望している」

というコメントを発表したのみで、あまり多くを語ることはなかった。

 

そんなマゼも、最終日にはすっかり明るさを取り戻していた。今シーズン最後のワールドカップレースとなったジャイアント・スラローム最終戦で優勝。長かったシーズンを最高の形でしめくくったからだ。

「チームをスタートしてから5年になる。その間、少しずつ少しずつ前進してきて、ようやくここまで来ることができた。最初の年は私とアンドレアのふたりだ けだったけれど、今私たちのチームには5人いる。一夜にして成功したわけではなく、この間の努力と失敗、その積み重ねが財産となったのだと思う」

今シー ズン最後の記者会見で、ティナ・マゼはそう言って胸を張った。

長い時間をかけて少しずつ少しずつ前進してきた。失敗から学んだことがすべて財産になったという

ワールドカップ総合優勝を讃える大クリスタル・グローブを受け取ったマゼは、ファンの声援に応えてそれを高々と掲げた。地球(グローブ)を型どったクリスタル製の大型トロフィーは、男子選手でも重そうに持ち上げるのだが、マゼは片手で軽々と頭上に差し上げてみせた。そして会場にスロヴェニア国歌が流れ 始めると、今度は愛おしそうにそれを両手で抱えた。

 

欲しくて欲しくてたまらなかったぬいぐるみをようやく買ってもらえた少女のような仕草で、クリスタル・ グローブに頬を寄せるマゼ。その表情には、シーズン中とはまた少し違う笑顔が浮かんでいた。すべての重圧から解放され、ふっと緩んだ優しい表情だった。そ の柔らかな笑顔こそ、多くのファンが彼女に惹きつけられる理由であり、と同時に、シーズン中の彼女がいかに張り詰めてレースを戦っていたかの証明でもあるだろう。